それは約40年前に映画「塩狩峠」を見たのがきっかけでした。本当に大きな衝撃と驚きが自分に走りました。その実話をもとに書かれた「塩狩峠」の主人公は教会学校の校長であり鉄道員だった永野信夫(本名、長野政雄)さんです。これは1909年2月28日に北海道旭川行きの満員の暴走客車を永野さん自身の身体と命を差し出してまでも、止めて乗客全員を助けたのです。しかもその日は永野さん自身の結納日だったと言うのですから驚きです。
なぜ、永野さんはこのようなことが出来たのでしょうか。それは小説「塩狩峠」の最初のページに記されているヨハネの福音書12章24節「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます」から来ています。一粒の麦が地に落ちてこそ、新しい芽が出て多くの実を結ぶと言う意味です。このみ言葉を語ったイエス・キリストご自身の生涯を現わしているのです。
イエス・キリストは西暦30年4月7日の金曜日9時ごろ、エルサレムの郊外のゴルゴダの丘で罪がないにもかかわらず十字架にかけられ6時間、見せしめにされ血を流し尽くし、息を引き取り死なれましたが、三日後に死者の中ら新しい肉体の復活を遂げました。まさに一粒の麦と死なれ復活したのです。このキリストを信じて罪から救われた人は全世界で今や約3分の1となって実を結び広がり続けています。その一人が永野信夫さんだったのです。自分の罪の身代わりだったと罪を悔い改めてキリストを信じて、罪から解放された永野さんでした。
聖書が言う罪は、生ける神様に背を向けて自分中心に生きることを罪と言います。それを「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず」と聖書は語っています。キリストは全人類の罪を身に引き受けて十字架で死なれ復活し、罪の赦しを完成したのです。このキリストを信じる人もまた「一粒の麦」として自分中心の罪に死に神様への愛と隣人愛に生かされ、多くの実を結ぶのです。これを永野政雄さん自身は列車からレールに飛び込み死ぬと言う方で現わし、乗客全員の命を救ったのです。
これはキリスト信仰がなければ出来ないことです。人は様々な生き方があります。クリスチャンが全員、永野さんのような生き方をするというのではなく、大切なのは、まず、人はキリストによって罪(自分中心)から救われて、神様と隣人を愛せる人となれるという事なのです。
「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに世を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのち(神様との交わり)を持つためである」ヨハネの福音書3章⒗節。
あなたも神の愛を知るために聖書をゆっくり聖書の教師から学んでみませんか。そのお気持ちのある方、講演会、礼拝にいらして下さい。