50年前に作成されたこの映画を佐賀市立図書館の多目的ホールで4月14日に上映しました。多くの方々が詰めかけて下さいました。会場に入りきれなくなり立ち見、また帰られる方々もおられました。上映後に「今度は午前、午後に2度行ったらどうでしょうか」「秋にもされたらどうでしょうか」「次回は整理券を発行してください」と言われました。見ることなく帰られた方、この場をお借りしてお詫び申し上げます。
さて、この映画はクリスチャン作家で有名な三浦綾子さんの作品です。これは明治42年2月28日に旭川で鉄道職員だったキリスト信者の長野政雄さんが下り阪で機関車と離れた客車を身を投げ出して止めて、乗客全員を救って殉職した実話をモデルにしています。映画では永野信夫で登場します。ほんとうに素晴らしい感動した映画でした。私自身は涙を抑えきれませんでした。上映会前から多くのお電話をいただきました。終わった後、映画鑑賞された方々から「久しぶり良い映画を見せていただきました」「良い映画でした。ありがとうございました。」「涙は出なかったが感動しました」貴重な言葉をいただきました。この映画は小説の約30%を上映していますので、ぜひ小説「塩狩峠」をお読みくださいますように。
小説の1ページを開くと「まことに、まことに、あなたがたに言います。『一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます』」ヨハネ12章24節が書かれてありました。これが「塩狩峠」の中心テーマなのです。では、どうして長野政雄さんは命を投げ出して乗客全員を救ったのでしょうか。その心を押し出したのは何でしょうか。それはキリストの十字架で命を捨てて死なれた愛です。その死は人間の罪の身代わりでした。人間は生まれながら原罪を身に帯びて、天と地を創造された神、自分を母の胎内で創造された神様(詩篇139:13~⒗)に背を向けて、自分中心に生きています。これが罪なのです。その結果、人間関係の破綻、生きる意味の喪失、死後の恐怖、罪意識から来る良心の呵責などを体験します。(ローマ人への手紙1:18~32)ところがイエスキリストは人間の根源の原罪の身代わりとなって死なれ、全人類の罪のゆるし、解放を完成したのです。ここに真の愛があなたに明らかにされたのです。上記のみ言葉の「一粒の麦」として死なれたのはイエスキリストなのです。「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって愛が分かったのです。」聖書:1ヨハネ3:16a。そしてこの愛を知った長野さんは、その愛に押し出されて「一粒の麦」となられたのです。このホームページを読んでおられる方、なによりも、あなたを心から愛しておられるイエスキリストを知ってくださいますように。