幸福とは何だろうか?福岡に住んでいた時、福岡市総合図書館に行き「幸福論」を検索し、数冊読み
一番、納得感を得たのは著者カール・ヒルティーによる「幸福論」だった。その本の結論部分に「幸せとは何か」ということを「それは神がともにい給うこと」と記していた。ではストレスが重なる日常生活で「神がともにいたもうこと」とは?と具体的に考えると回答が出てこない。そして聖書には明確な答えが多くあった。その一つ、旧約聖書の詩篇32篇1-2節には「幸いなことよ。その背きをゆるされ 罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が咎(とが)をお認めにならず その霊に欺(あざむ)きがない人は。」とあった。旧約聖書の原典はヘブル語です。「幸い」のヘブル語の意味は「進む」「うまくいく」「良い」です。上記の聖書箇所において、その「幸い」のためには「そむき」を「ゆるされ」、「罪をおおわれた人」主が「とがをお認めにならない」「その霊にあざむきがない人」です。人間の中身は神様へのそむき、罪の結果、救い主イエス・キリストが言われた通りです。マルコ7:20「イエスはまた言われた。『人から出てくるもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出てきます。淫らな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。』」人間は自分の力でどんなに努力しても心の中は解決出来ません。ただ一つの解決はヨハネの手紙第一1章7節「御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます」の通りです。さらに1章8-9節「もし自分に罪がないというなら、私たちは自分自身をあざむいており、私たちのうちには真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪をゆるし、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」人間が自分の具体的な罪を、自分の罪の身代わりとなって十字架で罰を受け血を流しつくし復活されたイエス・キリストに告白するなら罪はゆるされるのです。これを行ってこそ人生は海面を快走するヨットのように「進む」「うまくいく」のです。この幸いをあなたが得るために佐賀バイブルチャーチは設立されました。