南アフリカの出来事です。子犬が草の上に飛び出したのをちょっと見ただけで休んでいた200頭を超える羊の群れは恐怖にかられて牧場を突進して逃げたそうです。人間も同じで、日々のちょっとした「思いがけない出来事」「予期しなかった事」に不安を覚えるものです。

また、ちょっとした出来事、病気で落ち込んでしまいます。しかし、どのような環境にあっても、安心を与えて下さるお方を知っていただきたいのです。

天文学者、神学者であるアイザック・ニュートンが「いかなる世俗の歴史におけるよりも、聖書の中には確かな真理が存在する」と言った聖書、その中心人物がその方です。その方自身が聖書で「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言われました。その方こそイエス・キリストです。

 聖書に「主は私たちの王、この方が私たちを救われる」さらに「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救って下さる方です。」とイエス・キリストが人間の救い主であると記されています。聖書の「罪」とは警察に捕らえられる事柄でなく、人が太陽に背を向けて歩くように、聖なる神様に背を向けて生きる人生を述べています。その結果、「誰かといつも一緒にいても、たとえ自分を一番理解してくれる人がそばにいても経験する、あのどうしようもない孤独感、・・勝利の絶頂にあっても、心の内にそれほど喜びが湧いてこない」思いを体験するのです。この思いは「そむきの罪」の結果と言います。

 聖書にはその解決も記しています。それは「私たちのそむきの罪のために刺し通され」十字架で死なれ、三日後に肉体の復活をし、今も生きておられるイエスキリストです。この方に救いがあり、あなたを待っているのです。

聖書は語ります。「金銭を愛する生活をせず、今持っているもので満足しなさい。主(イエス・キリスト)ご自身が『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない』と言われたからです」新約聖書ヘブル人への手紙13章5節。聖書によってあなたもお会いできます。