佐賀に来て昨年、今年と2回目の牧師研修がありました。今年は私の長男、入江告牧師家族が

遠く愛知県の豊田市から来ました。豊田神池キリスト教会の教師(伝道師3年、牧師4年)となって7年目、聖書では安息年です。ただし1年間の休みではなく、担任教会の1回の日曜礼拝を休み、他教会の日曜礼拝で説教奉仕を行う制度です。説教はヨハネの福音書4章1節から26節を「渇きから泉へ」と題してありました。概要はサマリヤ人の女性をキリストが神に背く結果、渇く心から救い出し泉あふれる心にされた事です。

 さて、この女性は5回結婚と離婚を繰り返し6番目の男性と同棲生活をしていました。その心は男性を求めても満たされない心でした。またその心は解決されず渇くばかり、男性に捨てられて心と身の置きどころが見つからない日々を送っていました。そんな女性にキリストは御声をかけ続け「女の人よ。わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたは父を礼拝する時が来ます。」(ヨハネ4章21節)を言われ、イエスキリストを心に迎え信じました。心は神様を礼拝する心になったのです。その後、この女性は「来て、見てください。私がしたことを、すべて私に話した人がいます。もしかすると、この方がキリストなのでしょうか」(ヨハネ4章29節)と町の人々に対して小さな信仰告白をする人に変えられたのです。渇く心から泉わく心へと変えられたのです。あなたは、私の心はどうでしょうか。男性、女性、お金、知識を求めても求めても渇くのではないでしょうか。「心の平安」はどのようにして得られるのでしょうか。「わたしを信じなさい」と言われるキリストを信じることです。ではなぜ、キリストのみを信じて父なる神様を礼拝できるのでしょうか。それはキリストだけが十字架でわたし、あなたの罪に対しての罰を身に引き受けて、罪のない血を流しつくし三日後に死者の中から復活し神の御前の罪からの解放を完成したからです。あなたもキリストを信じましょう。そうすれば心に平安が訪れます。