「人間の生まれた日」堀越暢治箸 いのちのことば社、1985年。pp31~35から抜粋。

「国立科学博物館」

「神学校の友人にNさんという人がいた。この人のお父さんは上野の科学博物館に勤めている。何でも化石に関する権威者で、学名をつけるような人だと聞いた。それで私は、創造について学んでいるうちに、ぜひとも化石のことでN博士に会っていろいろ聞いてみたいと考えるようになった。それでNさんにたのんで、お父さんを紹介してもらうことにしたのである。それは、学名をつけるような人が、どのようにして学名をつけるのかが聞きたかったからである。それで、簡単なものが古いのだとか、下のほうのものが古いのだという答えが返ってきたら、なぜ簡単なものが古く、下のほうのものが古いと言えるのか聞き返そう。現在、簡単なものから複雑なものまで一緒に生きているのはどう説明するのか。        

 また、今かりに洪水が来たら一番下の化石は今でも貝類である、一番下に住んでいるんだから。   第一、地質年代表の化石の分布と現在の生物の分布とが一緒じゃありませんか、など聞いてみよう。どう答えるだろうか楽しみだなあ、と考えながら約束の日の約束の時間にN博士をたずねた。 

 博士には友人の話が通じていたらしく、私が行くと研究所の部屋に通してくれた。私は自己紹介がすむと早速質問をしたのである。「私は化石に興味を持っている者ですが、いろいろ疑問があるのです。 一つは化石の古さを決定するための何か、客観的なカレンダーになるようなものがあるのかどうかということです。」と。するとN博士は極めて明確に「そんなものはない」と言う。

「では、それなのに何によって年代決定をするのですか」と私がさらに聞くと「それは私の主観だ」との返事が返ってきたのである。「客観的なデータはないんですか」「ない」「私の主観と申しますと」「私の主観だよ。君もクリスチャンかね」「はい」「私はキリスト教がきらいでね。キリスト教が正しいなら何であんなに分かれて争っているんだ。第一アメリカはキリスト教国だろう」「いいえ違いますよ」「いやキリスト教国だ、そのキリスト教国が何で原爆を落としたんだ。その上長崎にもだよ。長崎はキリスト教の町ではないのかね」「もし原爆が落ちなければ日本はあれからまだ戦いましたよ。私は軍人でしたから分かります。そしたら日本本土は戦争になった。はるかに多くの人が死にましたよ」「君はアメリカの味方かね」「別に」化石の話で来たはずなのに、なぜか私がクリスチャンだというので話がおかしな方向にそれてしまった。私は後味の悪い思いをして科学博物館を辞したが「私の主観だよ」という答えには満足がいったな、今日は上野まで来たかいがあった、とそう思いながら帰ったのである。

学習院大学放射能研究所

 炭素の中にC14 というのがあって、放射能を放出するので、その放射量で年代測定をする方法が開発されたことを学んだ。その研究を学習院大学で行っているということを聞いて出かけることとした。今まで何カ所かまわってみて、私がクリスチャンで、聖書の研究のためにまわっていると分かると、その態度が目に見えて悪くなるのを体験したので、今回ははじめから聖書の研究のために知りたいのだと言ってみようと思った。学習院大学へ行くとK教授が相手をして下さった。「実は私は聖書の勉強をしているのですが、年代測定法について知りたくてまいりました」とあいさつをした。

 教授は気前よく、いろいろ説明をしてくれたのを覚えている。「大体のところ3万年ぐらいまででしょうかね。それも誤差が50%ぐらいあるので・・・」「そうですか。実は聖書と進化論とでいろいろな点が合わないわけです。進化論は、地球の年代を何億年と言っていますが、聖書は『はじめに神が天地を創造された』と言っているのです。」と言うと、K教授はしばらく考えていたが、「そうですか、聖書は『はじめに』と言っているんですか、私は知りませんでしたが、実際今までに何億年とかということが科学者によって言われているんですが、『はじめに』という表現が1番よいように思いますね。一度数字を入れますとね、また次にそれを訂正されてきたし、訂正されるんですね。だから私は、『はじめに』というのが人類が言いえる一番正しい表現なのかもしれないと思いますね」と言う。ここでは予想に反して親切な取り扱いを受けてとてもうれしく思ったのを覚えている。K教授の人柄がよかったのか、私が聖書を調べていると言ったのがよかったのか分からないが、あちこち聞いて歩いた中で、K教授との話し合いが一番楽しい思い出である。」